2020年3月10日(火)


【私が努力のアンチな理由を改めて考えた】


 考えましたが書く前に、
おふろで汗と一緒に流したり、
トイレでおしっこと一緒に流してしまったので、
過程のほとんどを忘れちゃいました。


 結論は、
単品では使えない、
曖昧に飾り立てるときの言葉だからです。


 たとえば
「勝つために努力します」
と発言したら、
どんな行動をするのか情報が含まれていないよ。
これが「勝つためにおぼろづきではなくゆめぴりかを選びます」だったら、
稲は関係ねーだろって話とか、
つや姫のほうがいいぞって話が可能になります。
(補足:私はつや姫がすきです)


 努力するかしないかはどっちでもよくて、
重要なのは行動のほうです。


 私は行動をとても重要視しています。
行動する者だけが成果を得るのです。


つまり行動が面倒になる環境は、
余計なコストが増えるので有害ってことです。


めんどくさいことはやらない。
簡単なら毎日やれる。


難しい内容だと思ったら、
簡単にしてからやります。


たとえば毎日こうして日記を書くのも、
難しそうに見える人間が1人以上で、
おそらく500万人以上います。


これは決して私が難しいことをやってるのではなく、
簡単にしたから簡単にできるだけです。


入力が面倒だったので、
キーボードをいいやつにした。
書く内容のうち1個を決めたら、
関連する2個目3個目が自動的にわかる。
目が痛くなっちゃうので、
目を使う頻度を下げた。
時間の確保が面倒なので、
時間をちょこっとしか使わないことにした。
時間の確保が面倒なので、
うっかりだらだらする時間を塞ぐ方法でもある。一石二鳥だよ。
内容の確認が面倒なので、
漢字とひらがなの密度の差を利用して、
確認できる場所の数を減らした。おおよそ字数の5分の1弱な。


 おまけ


 努力というと、
関連として才能を挙げる文化圏があると知っています。


私から見て才能はもっと曖昧なのでもっと否定的だよ。
あと才能と呼ばれた先を見ると大抵が、
知識・経験・行動・特性のどれかだったので、
負の信用を蓄えています。