2020年3月05日(木)


MTG統率者】
このごろ人気者の話題、
民主的勝利についてお話しします。


民主は字の通り民が主役ってことですが、
日本には民主主義と全体主義を混同する人間が跋扈していて、
つまり知る機会が少ないので、
まずはここからお話しします。


 ありがちな失敗は、
民主主義と称して多数決をするやつです。
それは全体主義な。
好みだとか向き不向きを無視して1種類に揃えるのは、
民主主義とは逆だよ。


すべての個人が、
別の個人の存在を知り、
自分との違いを知り、
ゆずり得ない範囲を知り、
そして共生する。
その方法を探る。


矯正でも強請でも強制でもなくてな。


わるい例:おまえはおばかだから、帰って。
よい例:おまえはおばかだから、おばかでも平気な準備をしてあるよ。


 前提を共有したので、
いよいよ統率者の話にはいります。
 まず決してやっちゃあかんのは、
手間を増やすことです。


面倒なことはやる価値がないのと同義なので、
手間がかかった時点でやる価値がなくなるよ。
この時点で特殊な道具を使う選択肢はなくなります。


 ここで私の好みをあげます。
追加だけにしよう。


あらゆる変化は、
増える/減る、の2通りです。
変更には減るを含んでいるので、
やめよう。
普段やってたことを特別にできない場合、
やる気を0にするに充分な影響があります。


 あとはルールを作る際の定番を共有します。
遊ぼうと言っているので、
明確な基準がある場合、
それは必ず目的を果たせなくなる。


満たしていると明らかな反面、
満たしていないのも明らかになります。


たとえば「クリーチャーの数が最も多くなった」をすると、
欠片の双子やキキジキくんあたりで総取りできるよ。
たとえば「ライフが最も多い」をすると、
台所くんとメリーラやアナフェンザの無限頑強で総取りできるよ。


加えてこういった基準次第で、
デッキ構築の時点でチャンスがなくなることも多々あるのです。
私のデッキはクリーチャーを全然ださないし。


ルールを使う目的は、
達成/不達成を明らかにすることではなく、
命の一部たる時間をたのしいものにすることです。


 そういうわけで私が支持するのは、
(1) 基準として主観を使う。
(2) 道具なしで実行できる。
(3) 短時間で実行できる。
これらすべてを満たす方法、
琴線に触れた・MVP・今回の名場面
など複数の呼び方があるあの投票です。
ボードゲームの定番だね。


「勝ったのは私だけども、
そのきっかけとなったうっかりさんが面白かった」
「揃いゆくコンボパーツを逸早く見抜いて対処の準備を整えてるのがかっこよかった」
「デニムを着ている」
みたいなやつです。


目新しさがない故に、
いいところがたくさんあります。
(1) 説明コストが低い。
(2) 負の感情を絡めても影響がないか、よい結果になる。
(3) 敗者の数が少ない。
(4) 選ばれなくても納得する。
(5) 語る機会である。


いちおう解説な。
(1) 説明コストが低い。
→ もう知ってるのでコストが低い。
(2) 負の感情を絡めても影響がないか、よい結果になる。
→ 自分を負かせた人はすでに楽しんでいる。
優れている自分を上回る存在に対し、
仮に負の感情を抱いても、
そのおかげで楽しい人間の数を増やす利益になります。
(3) 敗者の数が少ない。
→いい所0個人間になるのはとても難しい。
もしもそんな人がいた場合も、
同卓を断るので敗者にはならない。
(4) 選ばれなくても納得する。
→ いいところ探しなので、
確かによかった(同意)や、
言われてみると(発見)になる。
(5) 語る機会である。
→ 意見を伝えるのは楽しい。
いいところ紹介であればなおさら。


 もちろん主観に左右されるので、
参加者が変われば評価点もかわるよ。


自らの意思に基づいた思考が下手な人間にとっては難しいものの、
人間は自らの特性を知るたびに、
自身にとって最もよい行動をします。
成長がすきな人は成長するし、
決別がすきな人は決別します。


すべての個人は常に自分のために行動するので、
そうした結果が他の人間の利益でもある状況を整えます。