「勝つためにゲームをする」について同意の人もいると思うけれど、
言葉と意思のずれというものが誰にもあるものなので改めて。
私は「勝つためにゲームをする」については否定的です。
理由はこの文章を勝つため(目的)ゲームをする(手段)として読むからです。
私がゲームをするのは目的なので、
「ゲームをするために勝つ」を思います。
ゲームをするため(目的)勝つ(手段)というのは、
お互いに勝とうとするから最後まで結果がわからないゲームになるということです。
勝つ(手段)のために何をする(手段の準備)か、
コンボを編み出したり安定させたり有利な選択肢を探すということです。
目的が勝つことではなくゲームをすることなので、
勝った場合と負けた場合の両方で目的が達成され、
穏やかに次のゲームに向けて何をするか決める時を過ごします。
ところで日本語で「勝つ」と言うと読み方が多くて、
勝つぞという意思なのか、
勝ち星という結果なのか、
こういう時はこうなるという必然なのか、
文脈から判断するか既にそう思う方として読むことになります。
意思は未来、結果は過去、必然は現在を指しているのであまり読み間違えるとは思いませんが、
稀に混同している人を見かけます。
過去は書物のように動かないもの、そこから自由に動ける現在で何を学ぶか何に使うか。
嘆くことは簡単ですが、私は嘆いて成功した経験を持っていないのでやめました。
大会で負け続けて萎えぽよという経験もあるかもしれない。私はあります。
その時の感情を詳しく読んでいくと、負けたこと自体ではなくて
負けた時に学んだ欠陥を修正できないままゲームをすることが本当の理由でした。
「ゲームをするために勝つ」って言ってるのに勝つという手段が使えないからです。
手段がひとつ潰れたら別の手段を使うというのが上策ですが、
当時の私はそれに気づいていませんでした。
要約すると、未来に向かうのは生者の特権ということです。